推理小説ではありません。
でも、読むきっかけになったのは推理小説です。
このブログでも紹介したアガサ・クリスティの『五匹の豚』という作品の中で『月と六ペンス』の話が一瞬だけですが出てきます。
何故か分かりませんがそのシーンが頭か離れず、一度読んでみたいとずっと思っていました。
地元の本屋は、特に海外文庫の品ぞろえが著しく悪いのですが、それでも『月と六ペンス』は置いてあったことから考えても、『アンネの日記』等の名作と言われる一冊なのでしょう。
『月と六ペンス』は50歳手前で就いていた職も、奥さんも、子供も、財産も、全てを自分勝手に捨てて絵を描いて生きることを決めたストリックランドという名の男の半生を描いたお話です。
この男が『五匹の子豚』のエイミアスなんて目じゃないほどに自分勝手で嫌な奴なんです。
読む人によっては耐えられないかも知れません。
実際、このストリックランドが好きという人は居るのかな・・・。
自分勝手な奴だけあって、人でなしのエピソードが多数書かれています。
ただこれは飽くまで自分の感想ですが、この本に出てくる登場人物の大半はどこか狂ってるように思えます。
その中でもストリックランドは特段酷いですが・・・。
中盤過ぎまで面白いけど・・・なんていう感じだったんですが、ラストの方で語り手の「私」がストリックランドが死ぬ前にどのような生活を送っていたか、そしてどのように死んでいったかを追っていくところからは、夢中になって読んでしまいました。
正直、中盤過ぎまでは哲学的なことのように書かれてる場面でも自分には特別感じることはなかったんですが、このラストでは色々と考えてしまうようなことがありました。
特に自分が印象に残っている場面が、とある船長が未開の島を夫人と二人で切り開いていったことが語られる場面です。
「私」が船長と夫人の意志と強い精神を賞賛します。
すると船長はもう一つ「信仰」が欠けていたら成し遂げられなかっただろうというのです。
未開の島を切り開くという途方もないことを成功させた人が、それほどの事を成し遂げた強い「意志」と「強い精神」だけでは途方に暮れていたというのです。
これだけの意志の強さは信仰にも勝ると思っていましので、この台詞は強く印象に残りました。
やはりこの『月と六ペンス』で自分が感じたテーマは「意志の強さ」です。
ストリックランドはそれが強すぎる故に周囲の人をおざなりにしていきますが、決して固定観念に捉われない生き様は、ちょっと憧れを抱きます。
また、ストリックランド以外にも「強い意志」を感じる人が何人も出てきますし、また逆に固定観念と既存の価値観に捉われてしまった人たちも出てきます。
少なくともストリックランドは意志を貫いた結果、最後に幸福を手にすることが出来たのだと自分は思います。
既存の価値観に捉われていた人だって、幸せそうに見えます。
後者の人たちの生き方をどこか皮肉に笑っているのストリックランドの生き方を最終的には肯定的に捉えられるような終わりは、すごく感銘を受けました。
それは結局ストリックランドの誰にも勝る「意志の強さ」があったからこそなのでしょう。
幸福の基準、という意味ではクリスティの『春にして君を離れ』にも通じる部分があるかも知れません。
ところで『五匹の子豚』も『月と六ペンス』も「絵」が一つの共通点となっています。
『五匹の子豚』に出てくるエイミアスの絵の描写は想像力を掻き立てられましたが、『月と六ペンス』に出てくるストリックランドの絵の描写は全くピンと来ませんでした。
自分に芸術なんて理解出来るとは思いませんが、これは文章力の差なのか、自分の理解力と感受性の問題なのか…恐らく後者菜のでしょう。
それと読んでいて『深夜特急』を思い出すことが何度かありました。
哲学的な意味では、『深夜特急』の方が遥かに得るものが多かったように思います。
この本を読む前は勝手に「きっと文学的あるいは哲学的で、人にお薦めできるような本なんだろうな」と勝手に思っていましたが、正直お薦め出来るほどの本だとは思えませんでした。
それでも読んだことに意味はあったと思える一冊でした。
自分に芸術的な理解や哲学的な思考がもっと備わっていれば、また思うことも違ったのかも知れません。
そういえば『月と六ペンス』っていうのはどういう意味だったんだろうか・・・最後まで分かりませんでした。
それと『五匹の子豚』に出てきた時の言葉の意味はどういうことだったんだろう。
一つ推測は出来るのですが・・・。
『月と六ペンス』
★★★☆☆ / (3点)