久々の読書記事も推理小説でなく申し訳ないですが、ここは読了順に行きたいと思います。
この『桐島、部活やめるってよ』ですが、自分は映画しか観たことなかったんですね。
それも公開当時に観た訳ではなく、浦安は舞浜のイクスピアリで時々過去の映画を上映する「キネマイクスピアリ」という企画をやっておりまして、その「キネマイクスピアリ」で取り上げられた際に観に行きました。
これ限定1週間の公開だったんですが、ちょっと内容が個人的にぶっ刺さり過ぎて2回も観に行きました。
そんな思い入れのある「桐島」が今年10周年を迎えたという事です。
そんな記念イヤーに何と桐島の再上映が全国で行われました。
自分は知らなかったんですが、桐島の世界での出来事は11月25日(金)を起点に動いているようです。
という訳で今年の11月25日(金)から1週間限定で公開されましたが、勿論自分も観に行きました。
それもまた2回。
で、映画の話は今回は一旦置いておきまして・・・。
今回の再上映で忘れていた気持ちや思い出が蘇りまして、それを機に原作を読んでみようじゃないかということで読んでみた訳ですが。
映画とは構成が大分違ってビックリしました。
映画の方の監督の吉田大八先生は『騙し絵の牙』(著:塩田武士)も原作の構成を大幅に変えられたそうですが、「桐島」でも同じ手法を使っているとは思いませんでした。(桐島のが先ですけど)
人物の造形も異なれば、物語も違う。
つまり映画と原作は似て非なるものでした。
でも、根底には映画も原作も同じものがあると感じました。
結局は様々な人物の目線を通し学校内でのヒエラルキーに焦点をあて、ヒエラルキーの上にも下にも照明を当てることで本当の光と闇を浮き彫りにしているという点では映画も原作も同じだと思うのです。
ただ原作の方が表現が直接的で、映画の方でのラストシーンほど余韻はないような気もしました。
でも直接的である分、原作あとがきにもある吉田大八先生のような刺さり方をするというのも分かります。
ひかりだった。ひかりそのもののようだった。
この描写は本当に凄い。
これは映画では味わえなかった。
光と闇がはっきりと転換する瞬間でした。
そしてそれを第三者的立場から眺めている自分にも、緊張感やら虚無感が植え付けられる。
これは映画でも原作でも味わえる「桐島」の凄さだと思います。
伝わる人にしか伝わらない作品だとは分かっていますが、原作もそれは同じかも知れません。
ただ登場人物の中で「かすみ」の描写だけは映画にも通じるものがあるような気がします。
それでも先に述べたように映画と原作は似て非なるものであり、だからこそ両方味わってこその「余韻」が生まれるように思います。
また自分がどのような学生時代を過ごしてきたかで感じ方や温度感が違うのではないでしょうか。
とにかく、自分には原作も映画も衝撃的な物でありました。
この前映画の方ブルーレイ買っちゃいました。
ちなみに映画の方を絶賛している方たちの中に、Base Ball Bearのフロントマンである小出祐介氏が居ます。
この小出さんがバンドと別にやってる「マテリアルクラブ」というユニットがあるのですが、そのユニットの曲で「桐島」(映画の方)の話が出てきます。
個人的には大好きな1曲ですので、よろしければ是非。