以前『クビキリサイクル』の感想を綴った時に、「『涼宮ハルヒ』シリーズを普通の文庫として読むのはキツイ」というようなことを書きました。
実際、シリーズ1作目の『涼宮ハルヒの憂鬱』は紛れもなくライトノベルだと自分は思っています。
前作『涼宮ハルヒの分裂』から9年半もの時を経て角川スニーカー文庫から出た新作です。
この『直観』が出て時に色々な人が書いている感想の中で「新作が出るのが遅すぎた。自分たちはハルヒを読むには大人になり過ぎてしまった。」というような感想がありました。
そして、その感想に自分も全くの同意でした。
かつてはハルヒは大好きなアニメの一つであり、またラノベの方も好きな作品でした。
ただし、それは昔の話です。
大人になればなるほど、状況は変わってしまいます。
今でも時々ハルヒのアニメを観ることがあっても、新作を読みたい・観たいと思う程の熱量はもうとっくに失われてしまったのです。
ではなぜ本作を手に取ったのか?
それは、先月角川スニーカー文庫ではなく角川文庫から新作として発売された本作の帯に書かれた相沢沙呼のメッセージを読んだからです。
帯にはこう書かれています。
「まさしく、『涼宮ハルヒ』というSFでしか描けないミステリである。
この帯を読んだ時に自分の中でこの作品を読む動機が出来ました。
元々読む気の無かったハルヒの新作がミステリ・・・?
それだったら今の自分でも読める!
こうして本作を手に取りました。
で、前作の『分裂』から9年半ということですが、自分は特に『分裂』の物語の内容をあまり覚えていません。
所々記憶にはあるんですが・・・。
本作でも『分裂』の話がちょくちょく出てくるので、ちょっと読み返したくなりました。
そんなことはともかくとして、本作の内容ですね。
全部で3話収録されています。
久々に読んだハルヒでしたが、結構笑いました。
特にキョンの独特の言い回しに。
1話目・2話目はこれまでのハルヒと同じようなテイストで、これはこれでミステリー風になっています。
肝心なのは3話目です。
この3話目にミステリーの話がメッチャ出てきます。
カーにエラリー・クイーン、有栖川有栖に法月綸太郎、アンソニー・バークリー等の話が出てきます。
ここまでディクスン・カーの作品を読んでこなかったのが悔やまれます。
そして、この3話目のテーマになるのがなんと「後期クイーン問題」です。
涼宮ハルヒの物語を知らない人には分からないと思いますが、もしハルヒの能力と「後期クイーン」が交わってしまったら・・・本当にカオス状態です。
そういった事が3話目の終盤で語られることになります。
これが相沢沙呼の言っていた「ハルヒでしか描けないミステリ」だったのか。
この3話目は本格ミステリさながらの推理合戦が繰り広げられていて、確かにミステリでした。
ただ、正直言って全く面白くありませんでした。
ミステリー性の薄い1話目・2話目の方が面白かったです。
そしてこれも改めて思ったことなんですが、頭の悪い自分にはここまで論理的展開の繰り広げられるミステリーはなかなか楽しめないなと。
そういう意味だと、エラリー・クイーンとかは本当に丁度良いバランスでパズルが展開されていて見事だと思いました。
ということで、ミステリー好きなら楽しめる箇所はある作品だと思います。
相沢沙呼の解説も良かったです。
共感できるポイントが多々ありました。
特に、
ミステリを読んでいて、なんとなく犯人がわかった!と経験したことがある人達も多いのではないだろうか。だが、その直感に論理性が介在することは稀のはずである。
というところは。
このあとに古泉の展開するロジックのことが書かれているので、興味のある方は是非。
全体的に面白い!と思える作品ではありませんでした。
でも、この作品を読んだ意義は自分の中で生まれています。
この作品を読んだ事で、自分のミステリーに対する「眠っていた想い」みたいなものが呼び起こされた気がします。
これはミステリーの力でもあり、SFの力だと思います。
また、ハルヒと言えば京都アニメーションの出世作とも言えると思います。
その京都アニメーションで事件が起こった1年後に本作は上梓されています。
そんな京都アニメーションへの作者谷川流、そしてイラストレーターのいとうのいぢの気持ちが巻末に述べられているのも重要な所です。
自分も京都アニメーションが作成したアニメに慣れ親しんでいた一人として、ただただお二方の気持ちに共感するばかりです。
ちなみに本作は角川スニーカー文庫ではなく角川文庫から出版されたものになるので、イラストは一切掲載されていません。
この作品、ハルヒの事を知らない人が読んだらどうなるんだろう。