新訳版が出たので予告通り再読しました。
日本では格別人気を誇る、と聞いたことがあります。
自分が一度目に読んだ時の感想としては「『Xの悲劇』の方が面白かったな。」というものでした。
ただ今思えば、それは格別な人気を誇っている作品、という先入観と過度な期待があったせいかも知れません。
何故なら再読したらメチャクチャ面白く感じたからです。
前回読んでからそれなりに経過しているとは思うのですが、『Xの悲劇』以上に本作は内容をよく覚えていました。
犯人も、犯行の流れも、レーンの捜査方法も。
全部とは言えないものの、何故だかよく覚えていました。
(恐らく前回もワクワクしながら読んだおかげでしょう)
にも関わらず、いや・・・だからこそなのか。
『Xの悲劇』の再読時とはまた違ったワクワクが味わえたんですよね。
本作の犯人の意外性と言えば、一度読んだら絶対に忘れることは出来ないほどのものです。
それを分かった上で物語を再び辿るという事がこれほど楽しめるものとは思っていませんでした。
本作の前半はとにかく色々な展開が目まぐるしく起きる印象です。
とある事件を巡って再開するレーンとサム警視&ブルーノ検事ですが、サム&ブルーノの無能ぶりは前作以上です。
推理小説や推理アドベンチャーでは正しい道筋が分かっているにも関わらず、登場人物たちがその道筋に気づくまで展開を待つという歯痒い思いをさせられることがあります。
正直『Yの悲劇』ではそのパターンが多いです。
「いや、ニューヨーク市警の警視なら流石に気づけよ」ってことが幾つもあります。
サム警視を見ているとリチャード・クイーン警視って有能だったんだなと思ってしまいます。
ただドルリー・レーンのように全部の謎に気づけるわけでも、答えが出せる訳でもありません。
最初に読んだ時とその辺りの感想は変わりませんが、『Xの悲劇』同様にレーンの演繹的推理法が余すことなく楽しめます。
逆に後半は展開がぱたりと止まり、捜査に行き詰まり落胆していくサム警視と、とある理由から苦悩に満ちていくレーンの重々しい雰囲気が物語を包んでいきます。
そこからが本作の真骨頂なのです。
あとこれは個人的な経験に基づく感想なのですが、作中に腐った梨が出てきますが、それが自分の過去の苦い思い出を引っ張ってきます。
ある人から貰った梨を週末に置きっぱなしにして腐らせてしまったことがありまして・・・。
ブヨブヨになってて触った瞬間に梨汁がふなっしーの如くブシャーと溢れて一気に萎れてしまったんですよね。
だから、本作では梨が腐っていることに気づくのに時間が掛かってますけど、個人的な経験から言えばカゴを持ち上げた瞬間にブシャーってなるか、もしくは一目見てすぐ気づくはずです。
なんてどうでも良いツッコミを心の中で入れてました。
ここからは再読して気づいた本作の魅力について。
まず新訳版のあとがきで書かれていて「確かにそうだな」と思ったことですが、『Xの悲劇』では活力に溢れたドルリー・レーンを堪能出来る一方で、「悲劇」というほどの悲壮感はかなり薄れていると感じます。
自分は逆にそこが好きだと感じていたのですが、シリーズ通しての一作一作の役割を見てみると本作の果たした役割は非常に重要で重い物だったなと。
前作とは打って変わって、本作では真実に打ちのめされ活力が失われてしまったドルリーレーンの姿を目の当たりにすることになります。
そしてその姿が『Zの悲劇』を含めた残り2作に繋がる訳ですが、本作の重い雰囲気は残り2作のそれとは違う気がするんです。
Z以降はペーシェンスというレーンの分身、あるいは後継者とも言うべき存在が現れることで、老いていくレーンと活力に満ちたペーシェンスという対比が重い雰囲気を纏う要因の一つとなっていると自分は観ていますが、本作でのレーンはまだ若々しさを持っています。
にも関わらず、まさに悲劇と言える事件の展望と結末に悩み、苦しみ、もがき、そして辿り着く・・・その過程全てが「悲劇」という名に相応しいものになっていると感じます。
冒頭で日本で格別人気を誇る、と書きましたがこういった後ろ暗い展開が日本向きなのではないでしょうか。
というのも、本作を再読していて自分は金田一耕助シリーズのことが頭の片隅に過ぎっていました。
具体的な作品名を思い出していた訳ではなく、この陰惨で後ろ暗い雰囲気がまさにそんな感じがする、という飽くまでも直感だったんですが、この記事を書いていて一つある作品に似ているなとはっきり思い出しました。
そういえば「あの作品」と本作は切り口は違えど共通点があるな・・・。
まぁそのことは置いておくとして。
何となくこの気味の悪い人間関係の上で起こる一連の事件が横溝正史作品を彷彿とさせるんですよね~。
そういう要素が日本人に親しみやすかったのかなぁと勝手に思った次第です。
特に金持ちの嫌われ者の一族の長が殺される・・・って筋書はまさに金田一のそれのような。
ただし、今挙げた筋書も本作の一部でしかなく、色々な要素の上に組立っているのが本作であり、本作の魅力であります。
飽くまでも日本人に好かれた理由として考察しただけで、本作の魅力はそれだけでは無いということは明言しておきます。
そうそう、クリスティの作品にも『Yの悲劇』に似た結末を迎える作品があります。
ただ『Yの悲劇』は「悲劇」というタイトルに相応しい重々しさを抱えていますので、重厚感はやっぱりこっちの方が上かなと。
クリスティの作品の方も大好きな一冊ですけどね。
再読して思いましたが、本作は色々な要素が詰まっており、感想も色々な感情が混じってしまい書くのがなかなか難しい。
事件の謎解き、レーンの苦悩、ハッター一家の性格、「Yの悲劇」、そして結末・・・。
なんか色々と咀嚼してまた考察したい。
そんな気になる「名作」という名に相応しい、そしてドルリー・レーンシリーズとしても恐らく推理小説の歴史としても重要な位置づけになる一冊だと思います。
『Xの悲劇』も大好きですが、『Yの悲劇』も十二分に面白い!
再読してよりそう思わせてくれた、最高の一冊でした。
(ところでマンドリンで攻撃したら、それなりに騒がしい音が鳴りそうな気がしますが。)
『Yの悲劇』
★★★★★ / (5点)